刀工の中でも、三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)は有名です。平安時代の中ごろ、三条(京)に住んでいたことから呼ばれていました。当時、清少納言が枕草子を書いていた時代なため、平安時代の中でも平和な時代だったことが分かります。宗近の太刀姿が優美であるのは、この時代の空気を反映しているためとも言われています。三条小鍛冶宗近は、勅命によって国家鎮護の太刀を鍛えることになりました。しかし、神の御加護がなければできるものではないと考え、伏見稲荷大明神に祈誓をしました。すると不思議な童子が目の前に現れて、古名刀の話をして力づけてくれました。励まされた宗近が神々に祈誓をしながら仕事に取り掛かると、どこからか狐が現れて手助けをしてくれました。この話は、謡曲の「小鍛冶」に謡われています。他にも小鍛冶宗近は狐に縁があると言われており、さまざまな不思議なエピソードを残しています。小笠原若狭守という武将が、三条小鍛冶宗近の鍛えた名刀「狐丸」を帯びて出陣し、勝ち誇る上杉製の真っ只中に突入したのです。この瞬間から、戦地は凄惨な状態となりました。小笠原は狐丸をふるって激戦していましたが、顔を一颯されたことで血まみれになりました。兜は落ち、味方も次々に倒れたものの、小笠原は何とか落ち延びることができました。しかし乱戦中であったために、名刀の狐丸は叩き落され、そのまま所在が不明になってしまいました。戦後に死骸や物具が埋められて、さまざまな場所に塚が作られましたが、そのうちの一つに夜毎、狐が多く集まるようになりました。不思議に思って塚を掘り返すと、人骨に混じってあらわれたものが、この名刀の狐丸だったと言われています。