粟田口忠綱は、江戸中期から摂津国で三代にわたって作刀した。代々近江守を受領した。鎌倉期の刀工粟田口国綱の流れを汲むと伝えられている。特に著名なのが二代粟田口忠綱で「一竿子」と号し、津田助広、井上真改等と並んで大坂新刀三傑と称されている。本姓は浅井氏、万太夫と通称した。
一竿子の作風は、初代粟田口忠綱から受け継いだ足長丁子、元禄期には津田助広の濤瀾乱れ、井上真改の沸匂深い直刃を焼いた。一竿子といえば何を差し置いても彫りであろう。彫りの秀逸さを表す言葉に「彫りのない一竿子は買うな」といわれるほどである。
彫りは剣巻龍、梅倶利伽羅、鯉の滝登りなど多彩である。一竿子の彫りには「彫同作」「彫物同作」の添銘が必ずついている。
代表作は、重要文化財「太刀 銘 粟田口一竿子忠綱彫同作/宝永六年八月吉」、幕末の大老・井伊直弼の愛刀であった「刀 銘 粟田口一竿子忠綱/正徳三年二月吉日」などがある。