現代の名工の努力研鑽によって蘇った古の名刀というものが存在する。薬研藤四郎がその名刀の一つといえる。粟田口吉光が薬研藤四郎を作刀したのは、鎌倉時代、山城国(京都府)と伝わっている。
薬研藤四郎は、長刀でなく一尺に足りない短刀である。だが、その切れ味に至っては、決して長刀に引けを取ることはない。最初の所有者が誰であったかは、諸説がありはっきりしないが、有力な説では、室町幕府の三管領の一人、畠山政長であったといわれている。
畠山政長は、畠山家の内紛により従兄の畠山義就と争い、応仁の乱のきっかけを作った人物だ。明応2年4月。
管領細川政元の起こした明応の政変で敗北、自害に追い込まれた、この政変こそが以後、約100年続く戦国乱世の幕開けだと言われ始めている。薬研藤四郎の銘の基となる逸話がこのとき生まれている。