中世の武士は、刀剣よりも弓矢を重視していました。戦そのものの方法としては、ある程度の広さのある場所を合戦戦に定めて、互いに時間と場所を教え合っておきます。当日になってからは、軍使が前に出て開戦状を交換します。その使いが互いに戻って、矢を射合い(矢合)、戦闘が開始となります。いきなり奇襲をかけての戦闘となると際限ない殺し合いになってしまいます。そのため、ある程度のルールを定めての戦いになったのです。合戦は騎兵が中心となって行い、弓矢をメインとしての戦いになりました。互いの兵に犠牲を出さないよう、大将同士の一騎打ちもありましたが、こちらも馬に乗って矢を射合うものでした。とは言え、日本刀の出番が全くなかったというわけではありません。例えば相手に奇襲をかける場合、もしくは相手を馬から引きずり落として組み合うという場面では、刀で突く・斬るなどの戦術が有効だったそうです。